実像と虚像

 私たちが眼で感じ取っていることをそのまま信じてはいけない。
 みんな空は青いと感じているだろう。だけど、AさんとBさんの「青」は同じだろうか?もしかしたら、違うのではないだろうか?しかしほとんどの人は他の人も同じ色を見ていると、そのことさえも問題にさえしない。極端な話、Aさんが「赤」と感じている色をBさんは「青」と感じているのかもしれない。生まれながらに、その色を「青」と覚えてしまえば、その後は本人もそれは「青」だと言うだろう。他の色との配合に矛盾のある者だけが、色盲者として認知されるのかもしれない。
 さて、眼球は光、つまり色をデジタルとして脳に伝える。つまり、テレビ画面のぶつぶつの一色の集まりのように、脳の何万、何十万というポイントへ色を伝えているだ。
 テレビでパソコンの画面が映っているとき、パソコンの画面は独特のちらつきがある。これは、テレビもパソコンも交流が電源なので、それぞれ1秒に5、60回画面が消えているのが周期的に重なるからである。同じように定期的な周波数で風景の光刺激を視神経から脳へ伝達している眼へ、光をある速い周波数でちらつかせると、周波数が合った瞬間だけ部分的に眼が見えにくくなったり、脳が対応しきれない場合は倒れたりする。
 ポケットモンスターが有名になった事件を考えてもらえればいい。
 また、見える風景が「上下左右逆になる完全防備メガネ」をかけた人は、一週間それをかけ続ければ何の苦痛もなく日常生活をこなすという。上を指すように言われれば、他の人と同じようにいわゆる「上」を指さしてくれる。つまり人によっては、上下左右の見え方さえ、不確かなのだ。
 これらのことから、見え方、聞こえ方、におい方、味、考え方は同じ事を言っていても、人によって指している意味づけが違うことがあると考えられる。
 だから、福祉に拘わるものとして、利用者の出力された言葉だけで評価してはいけないと感じている。まじめな話になってしまいました(@_@)

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