石灯篭
H14.5.21


 その石灯篭に気づいたのは、就職してから3ヵ月後だった。

 建物の中庭は芝生で覆われていたが、隅の方に建物を避けるように屹立していた。
 その晩宿直だった私は、夜の見回りを開始した。
 途中、その石灯篭が見える一室で机に向かう同僚にすすめられるままに、お茶を飲んだ。
 同僚の大先輩の女性は窓の外を指差して言った。
「あそこに石灯篭があるけど、この部屋で夜一人になってあの石灯篭を背中にして座って、あるとき急に振り向くと石灯篭の陰から手が出るっていう噂よ」
「だから、お茶飲め、飲め、と言って呼び止めたんですか?」
「そういうわけじゃ」慌てるように、女性は打ち消した。
 そういえば、こういう話を聞いたことがある。今までこの職場を辞めたのはかなり一階の人が多い、2階に勤務していた人もが、1階勤務になった途端、辞めていった、と。
「どうして僕にそんなこと言うんですか?」訝しく思った私は、ふと訊ねてみた。
 煙草をくゆらせながら、女性は笑みを浮かべて言った。
「怖かった?冗談に決まってるじゃない!私もだまされたのよ」
 私は出かけた冷や汗を軽く手で拭った。
 お茶の入った湯のみは、すっかり冷めてしまっていた。
「じゃ、行きます」
 ドアから出かけた私は、女性が座りなおすのを見ながら、次の見回り場所の2階へ急いだ。
 夜勤明けの女性は、翌日から2度と職場に来なかった。
 あれから10年が経った。
 今日も夜勤の職員は、宿直の担当者に言っているはずだ。
「あそこに石灯篭があるけど、この部屋で夜一人になってあの石灯篭を背中にして座って、あるとき急に振り向くと石灯篭の陰から手が出るっていう噂よ」


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