田村亮子、第2の悲劇〜自称スポーツライターの管理人
H12.10.13

 私は、オリンピックで田村亮子が金メダルをとったとき、確実に国民栄誉賞だと思っていた。しかしふたを開けてみれば、国民栄誉賞はマラソンの高橋尚子。
 田村亮子には、悪い偶然がいくつか重なった。
 ひとつめは、今まで重い階級からやって最終日となるはずだった女子48キロ級が、今回から初日となってしまったこと。人間の感動はそう長い間持続できるものではない。
 ふたつめは、男子柔道で金メダルをとるはずの篠原が、判定ミスで銀メダルとなり、柔道における日本国民の目が彼に注がれてしまったこと。おまけに、今後も競技生活を続けるつもりの田村は生放送で、完全に第三者に撤し、「篠原先輩がクレームをつけなかったから仕方ないです、審判の先生ががそう判断したのだから、畳を降りた今となっては受け入れるのは仕方がないでしょう」と発言してしまったことだ。
 私は心で叫んだ。ちょっと待って、まだ間に合う。発言にこう付け足せ。
「でも、今言ったことはルールあるスポーツ界にいる競技者としてです。個人的(日本人、田村のこと)には、あくまであれは完全に篠原先輩の勝ちだったと思います。完全な内股すかしですから。その証拠に審判副部長のジム・コジマさん(国際柔道連盟の役員)も認めていますし」
 しかし、それらしい発言はなく、田村は、自分の金メダルをいとおしそうに話すだけだった。さらに、オリンピック後、一部のマスコミが田村の恋愛がらみで騒いだ(その真相は別として)。田村の国民栄誉賞はなくなったな、と私は思った。
 オリンピックの後半、マラソンの高橋尚子はシモンと競りあって、金メダルを獲得した。
 高橋は、オリンピック前に脚を痛めたり腕を骨折したりしたが、なんとか最後の切符をとったというアピールポイントがあった。
 そして、あの酔っぱらい監督の高橋尚子の人間性の過剰演出(試合後、高橋にカメラ目線をさせたり、普通なら「ほっとしました、少し休みたいです」と言うところを、ことさらに日本国民に感謝し、オリンピック中であるにもかかわらず、次は世界記録をねらうと公言させたのは監督だと思う)。
 監督は監督で、試合中で高橋がぶら下げたお守りの中の、命を預けるかのようなメモや、35キロ地点のスパート周辺での宿取りの秘話をしつこく話した。
 とどめは、親戚の白川英樹教授がノーベル賞をとったこと。というのは、ノーベル賞受賞者には文化勲章を送るのが恒例となっているので、部門は違うとはいえ、協議の場が作られたのだ。


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