人間の能力の90何%は眠っているという話はよく聞く。言わんとする意図は分かるし、それが本当にしろ否にしろ、その残りの数%が能力の全てというのなら、それは受容せねばならぬ定理であり、人は自己の限界を悟らねばならない。その数%の境界は、事実上限界値を示すものであり、それを超越する事案を議論することは意味がないと思われる。
ところが、その話は、能力の潜在性を示唆し、無限の挑戦をかきたてるものでもある。
人は、小さいときから、「賢い」とか「よくできる」という社交辞令に踊らされ、できぬ努力をする。しかし、できぬ努力は所詮できぬ努力で結実は望むべくもない。人間は能力の「数%」が限界なのだから。ごく少数は、そのできぬ努力で成功するが、それは能力の「数%」が他人より大きかったか、少ない「数%」を超えた奇跡の潜在力に過ぎない。その例を見聞して、できぬ努力をするのは、客観的には愚かであり、おまけに自己能力の過大評価を生み出しているだけである。
ところが、ほとんどの一般的な人間は、自己の過大評価に夢をみて、無駄な時間を過ごすことを選んでしまう。
つまり、人間は夢を見て無駄な時間を過ごす非合理性を選ぶ生き物なのである。
人間の能力の90何%は眠っているという話は、そんな人間への応援歌とも帰結できよう。