小学生の頃読んだ話にこんなのがあった。
中学生のB君は、3年毎にではあるが、信じられないような幸運に恵まれた。そんなに勉強したわけでもないのに、たまたま勉強したところがいつも当たって成績は学年トップになったり、勝てないと思っていたスポーツのライバルにも、ものすごい運が絡んでその年には勝ち続けた。友人も次々と彼に寄ってきて、兄弟や両親にも幸運のお裾分けをしたいくらい。
そんな3年毎が2度続いた中学3年の春。父親の仕事の都合で2度目の転勤で中学校を転校していた。
今年は幸運が来る3回目の年である。このことはB君が一番よくわかっていた。新しい中学でも何でもうまくいくはずである。しかし、やることなすことすべてが裏目。成績はどん尻、それほどでもない人にもスポーツで負け続けた。どんなに何をしても友達もできず、孤立したB君はクラスメートを恨むようにさえになった。
そんなある日、中学校の校舎で校長先生の誕生パーティが放課後開かれることになった。ほとんどの生徒や父兄が幹事から招待されたが、B君一家は招待さえされなかった。
おかしい。何もかもが狂っている。今年は幸運の年なのに。
そんなことを思っていたとき、けたたましいサイレンが鳴り響いた。多くの救急車や消防車の音のようだ。
B君は夜の帳が落ちた窓の外を覗き込んだ。
………学校が燃えている!
3階が会場だったためほとんどの生徒や父兄は逃げ遅れ、死んでしまった。
結局B君は、この学校では友達がいなかったから全く悲しまずにすんだ。
というような、内容だったと記憶している。
当時は、ああ、それがこの年の幸運ということか、と妙に納得したのを覚えている。
しかし今は、子供向けに書かれたこの話は何かがおかしいと思う。結果が良ければ、経過はどうでも良いような書き方だからである。死人に口なし、または、臭いものには蓋をしろ、みたいなテーゼが見えてならない。