重いドア    H11.10.23

 13年前のあの日は、寒い朝だった。風が天から降り注ぎ、人々の体をこじんまりとさせていた。
 私はその日初めて地下室のコンクリート部屋のドアを引いた。その講義室のドアは非常階段にあるような重層なもので、開けたままにするのは何か他の力が必要だった。中には元々椅子など無い。
 教授はいつもと違う真摯な表情で歩を運んだ。
 すでに集まっていた約30名の生徒たちは、シーツの掛かった2つの大型ベッドを中心に楕円を描いている。
 やがて訪れる事態を予測してか、いずれの者も口数は少なかった。それでも来たばかりの教授はこそこそしていた生徒たちを一喝して、全員にさらなる緊張を促した。さらに教授は、生徒たちに直立不動での黙祷を10秒ほど課した。漆黒のしじまは、この世の中に誰もいなくなったような錯覚を私に植えつける。
 そのあと教授の話が10分ほど続いた。脚をそろえた直立不動の命は説かれていたが、誰もそれを解こうとはしなかった。話の途中後ろの方で女学生が倒れた。隣の学生が両肩を抱いて、重いドアから出ていった。
 教授の話はそのあとすぐに終わった。
 教授は二つのベッドに一礼してからゆっくりとシーツを引いた。
 すでにパーツの位置は入れ替わっていた。
 そのとき一部のパーツが大型ベッドの上ではなく、私の横の布のかかった小さな台にあることが知らされた。
 おそるおそる布を引いてみた。DIP(俗に言う第一関節)より先にしか皮膚の付いていない右上肢が現れた。私たち理学療法学科の今日の使命は、すでにテストがすんだ筋肉の位置と運動の関係、そしておおまかな内臓の様子などについての確認だった。
 先に来ていた何人かの医学生たちは、自分たちの勉学の後、私たちのために余計なものを取り除いてくれていた。それでも、細い神経や小さな血管は取り除けず執拗に残っていた。
 右上肢を持ち上げてみた。重たい。こんなに筋肉のついた骨は重たいものなのか。
 すべて英語とラテン語でかかれている指定教科書のみが、持ち込みを許されていた。実物の大きな筋肉は分かりそうだが、肘や手首から指にのびている筋肉(手内外筋という)の配置は、全く分からない。授業で起始・付着部を分かっていたはずだし、教科書と現物があるのにだ。
 怪訝そうにしていると、教授が背後から私の前に回り込み、手首の腱を指で引っ張った。すると、小指がゆっくりと曲がった。
「こうやって確認してみなさい」
 教授はいつものにこやかな表情で言った。
 しばらくして私の頭に?が渦巻いたまま、ベッドの方に移動した。人数の関係でいつまでも独り占めはできないのだ。
 ベッドの人垣から最初に見えたのは、頭部の正中位切断部(眉間と鼻中隔を結んだ断面のこと)だった。頭をくりぬかれ脳をのけられた半分の顔や、内臓が無造作に置かれた肉体が何ヶ月か前呼吸し、献体の意志表示をしていたかと思うと、いとしさに似た感情が怖いというショックを飛び越えた。
 もうひとつの台にはさっきと違って女性の遺体が置かれていた。
 若い学生たちは、文字通り体の隅々にたかり、いじくり回す。
 私はもう見学のみにしようと思ったが、故人が何のために体を投げ出したのかを思い、各部に手を触れ動かした。
 他の人と同じように私の医学勉強の臨床は勇気ある死人から始まった。
 その日は吹き付ける風が来たときより暖かく感じた。

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