高校部活での抵抗運動体験

 なっちゃんこと田中麗奈のデビュー映画「がんばっていきましょい」は、私の高校がモデルである。でも、あの「がんばっていきましょい」という掛け声で、私は他の人とは違って苦い思い出が蘇る。
 当時私は高校一年生で、弓道部に所属していた。
 当初ほとんどの一年生は、実際に矢を射ることはほとんどなく、棒矢という先に何もついていない矢で俵に向かって練習したり、何も持たずに型の練習をさせられていた。まだ練習ができればいい方で、洗濯したり、的をつくったり、上級生が放った矢が当たったかどうかの掛け声、放たれた矢の回収・種分けを、来る日も来る日もさせられていた。さらに、先輩が機嫌が悪い日は1年生に対して、「起座」(正座して片膝を1、2センチ挙げて、耳に腕を付けて真上に手を挙げさせられる)といった、いわれなき「しごき」が何時間も続けられたりもした。倒れる者もいた。それでも引き起こされ、続けさせられた。何人もの人が去っていった。そこには、上級生命令は絶対といった軍隊にも似た暗黙の了解があった。
 私は弓道なんか関係なくなっていた。そんな先輩に屈して辞めてしまうのは嫌だという気持ちが部活のすべてになっていた。
 やがて、先輩にうまくとりいったそこそこ弓のうまい一部の者は、先輩たちの特別室での着替えや一緒の練習を許されるようになった。むろん、大会は無条件でそれらの者で構成される。
 大多数の1年生の中には、明らかにそれらの大会出場者よりもうまい者がいた。ずっと、前述したような事が続き、1年生の中の不満が充満し始めた。それでも、先輩たちの言うことは絶対だった。
 ある日、私たち1年生は意を決して作戦会議をした。これは秘密裡の作戦である。だから、先輩と距離が近そうな者は排除された。忠臣蔵じゃないが、討ち入りまでに漏れてしまえば、計画は中止となりかねない。
 私たちが計画したのは、部活担当教官のいない日、1年生部室への立てこもりをすることだった。むろん、私たち1年がいなければ、先輩たちは自分たちの練習をすることはできない。放っておくわけにはいかないはずである。
 そして、計画は実行された。20分たち、30分たったころ、部長が怒鳴り込んできた。
「はやくしろ!この馬鹿らが」
 1年の中には、少し立ちかけるものもいたが、隣の者が制した。
「1年生は、今日から要求が聞き届けられるまで、練習はしません!」
 対して部長が怒鳴りながら、言った。「何だ、要求って?」
「1、無意味な練習をさせないこと
 1、うまい者は正当な審査の上、大会に出させること
          等々                   」
 部長に続いて、鬼より怖い先輩たちものぞき込んできた。
 その後、各人にたまっていた鬱憤がぶちまけられた。
 私は全員殴られると思った。
 ところが、部長は突然泣き始め、しばらく沈黙した後要求を受け入れた。
 私たちは、肩すかしをくったようだった。いとも簡単に受けいれたから。
 そののち私たち部員はしばらく意見を交換した後、部長の音頭で唱和した。
「〜高、がんばっていきましょい」
 少しして私は、部活を退部した。続ける意味が無くなったのである。
 私は今でも、あのボロ部活室での唱和を決して忘れることはない。
 部長が今何をしているのか知らないが、会う機会があっても緊張して、あのときと違って私は何も言えないと思う。

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