誤解されるアダルトチルドレン(AC)の概念

       以下、水戸憲一さんの文章です。ちょっと勉強になりますよ

自分の不幸を親のせいにすればいいと思っている若者たちの合い言葉?
違うっつーの!私もつい最近までそのように勘違いしていたのですが。

そもそもアダルトチルドレンとは何か?
1989年に出版されたクラウディア・ブラックの「私は親のようにならない」では、監訳者の斎藤学氏によると「大人になったアルコホリックの子どもたち」となっています。つまり、アルコール依存症の親を持つ子ども(Children Of Alcoholics)が大人になると、いちおうアダルトになるわけですから、Adult Children Of Alcholics になるわけです。これが原点。「大人になれない子ども」とか「子どもっぽい大人」というのも誤った解釈。精神科医ですら誤解してい方々が多いのが現状です。とにかくアルコール依存症の親を持つ家庭で育った子どもが正解。しかも世代間連鎖する可能性が高いという報告がなされています。

彼らのよく言う機能不全家族とは何か?
アルコール依存症の親がいる家庭に限らず、子どもが安心して育つことができない家庭です。安心して育つことができない家庭というのは個人によって違うので、一概に機能不全家族を定義することは難しいのですが、ようするに「自分はこの世にいてもいいのだ!」という情緒的な確信と自尊心(生きる力)が育まれない家庭です。夫婦の仲が悪かったり、暴力が耐えなかったり、斎藤学氏がよく使う「優しい暴力(親が子どもを利用して自分の情緒を安心させてしまう)」がはびこる家庭です。ここから、Adult Children Of DysfunctionalFamily が生まれます。つまり、機能不全家族で育ち成人した子どもです。直接的な暴力で心が傷ついている人もいれば、情緒的な暴力によって知らず知らずのうちに心が傷ついている人もいます。

心の傷から引き起こされる「生きづらさ」とは何か?
一言で言えば人間関係がうまくいかないことじゃないでしょうか。子どもにとって家族は人間関係の出発点。出発点がなんだかおかしな具合だと、その後の人生にかなり影響します。「自分は自分、他人は他人」という自他境界線が引けなくなります。「自分のため」に生きるのではなく「他人のため」に生きるクセがついてしまい、対人関係に悩むのは当然の結果。いつも自分は他人からどう思われているのかを気にするようになり、心の空虚感を何かで埋めようとします。お酒であったり、クスリであったり、食べ物であったり、買い物であったり、お仕事であったり、他人への世話焼きであったり、家に閉じこもったり、それに酔っているうちは自分の心の空虚感を感じなくてすみます。これが強迫的に常習化してしまうとアディクション(嗜癖)になります。アディクションをしないとどうなるか?自分の空虚感を直視せざるをえない状況になりますので、抑うつ的になります。抑うつ状態は自己発見のチャンスです。抑うつは痛くて寂しい感覚なので、急いでそれをかき消そうとすることもあります。たとえば、失恋したりして手首を切ったり、クスリを飲みすぎたり、知らない人とセックスをしたりして、身体を痛めつければ、少なくとも抑うつ状態は「回避」できます。企業のために仕事熱心なお父さんと部屋にこもって過食嘔吐している娘さんは原理が同じなわけでして、どちらも抑うつにならないように頑張っているのではないでしょうか。

そんなこと言ったら日本人はみんなACではないか?
他人のためにがんばるという日本人は、集団の中で「個」を形成するので、みんなACかもしれません。ですから、斎藤学氏が逆説的にどんどんアディクションをやることを勧めたり、抑うつ的になるのを奨励したりするのは、それが自己発見のチャンスだからだと思います。「個」から「集団」を形成するための準備期間なのでしょう。ただし、アディクションは最終的に人生を破壊しますので、いつか辞めなければまずい。辞めるためには、同じ悩みを抱えた仲間が必要であって、そこでアディクションから回復した人の話を聞いて、自分のことも話すのが効果的なのでしょう。自助グループというものです。ハイヤーパワーとかインナーチャイルドとか、ボキャブラリーを共有できるのもおもしろいことです。怪しい新興宗教や自己啓発セミナーに通って大金を払うよりも、参加費なしで参加できるのもありがたいことです。ACという命名は、「自分のため」に生きることをしようと努力する人たちの出発点ではないでしょうか。マスコミが批判するように「私、トラウマがあるからACで何もできません」というのは確かに言い逃れかもしれません。斎藤学氏がACの方々に対して、賢い医療消費者になっていただきたいと力説するのは、自分には「何かができる力」を発見し、その力を引き出してくれる治療者や仲間と出会い、自分の幸福は自分の責任でやっていただきたいという切実な願いがこめられているような気がします。などと、偉そうなことを言う私も準備期間中です。

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